ということで、
担当直入に私がこの本で一番肯いたことを乱暴に抜き出すと、
宗教は政治に利用される形で生まれ、定着したという一説の「根拠の詰め方」の部分です。
日本では、宗教は諸外国と比べてどこか緩さやカジュアルな側面が強いものの、漠然と崇高な存在であるような認識だったり、ある意味人類の根本とか存在意義に触れるようなイメージがフワッとありますよね。
ですので、政治が先で後付け利用のために宗教があったとなると、
ちょっと驚きがあります。
ではそもそもなぜ政治や宗教が生まれ、ここまで発展したのか?
その理由を本書では生存競争に勝つため、団結する必要があったと解説しています。
データをある程度計測していくと、集団の結束限界は概ね150人ほどが境い目となり、それ以上の集団を形成するには、ある意味フィクションのようなスローガンだったり、思想や目的を共通認識させないと難しいそうです。(現代でいう国家・政治の思想や企業理念もその目的が内包されていませんか?)
そうすると大昔に、生き残る手段として集団を形成し、運営していく政治の企みや必要性のもとに宗教の教えを広めて利用し、一体感の醸成を促してきたという歴史解釈も不自然ではないなと思いますね。どんなに優れた個体でも集団には勝てませんから。
つまり、
現代人のルーツであるホモサピエンスが生存競争に勝てた能力は何かというと、
虚構=フィクションを信じれる力を持っていた、ということです。
人類が他の類人猿に勝っていたのはこの点で、そのフィクションを信じられる力で、個の力を圧倒的な集団力に変えて、生存競争に残って来たのであり、
宗教や政治の生まれた理屈を紐解いていくと、
それらは生き残るために作り出した方便=虚構と言えるのではないか?
ということが丁寧な論拠で書かれています。
当然、サピエンスが生き残ってきた理由はこれだけではありません。
上下巻に渡る読み応え抜群の本書の一部を、半ば乱暴にご紹介させていただきました。とどのつまり、この学説を信じていくと「壺」、はもう要らない?ですよね。
おあとがよろしいようで。
投稿者:ツタヨ